ワインの味を決めていた「ネゴシアン」の存在
フランスの大手ワインメーカーで、農家から出来立ての新酒の樽を買い取ってブレンドし、ワインを完成させる業者をネゴシアンといいます。ですから、最終的なワインの味はネゴシアンに委ねられていたことになります。
ネゴシアンは売れるワインを造らなければいけません。よって、イギリスで明るい軽いタイプの赤ワインが好まれれば、赤ワインに白ワインを混ぜたり、重厚なものが好まれればそのようなワインをブレンドして造りだしたりしました。
このように、高級ワインに安物が混ざるなど、銘柄に対して中身が全然違うような誤魔化しが横行していました。ブドウの虫害で品不足が起こったことがそれに拍車をかけていました。
転換期が来たのは20世紀初頭です。第一次世界大戦・世界恐慌・アメリカの禁酒法の制定と、ワイン造りは立て続けに厳しい状況に追い込まれました。ここで立ち上がったのが「グローワー」達でした。(「グローワー」とはブドウを栽培し、ワインを完成させるまで一貫して自分たちで行う生産者のことです。)
彼らはインチキともいえるワインを追い出したいと考えて行動を起こしました。当然のことながら、ネゴシアン達からは妨害を受けましたが、正しい主張が認められAC制度(原産地名呼称規制)の誕生となりました。
しかし、AC制度だけでは不十分であったので、さらにワインの出生をはっきりできるような制度を目指すことになります。
それを行ったのはムートン・ロートシルトのフィリップ男爵という人物です。彼は、ワインを必ず自分の所で壜詰めするという「シャトー元詰め」を提案し、周りのシャトーと足並みをそろえました。これは、一流シャトーでないとできないことでしたが、1973年になってボルドー全体で制度化されました。
これによってワインの出生がネゴシアンに委ねられ枉げられてしまうことなしに生産者も私たちも安心して飲むことができるようになったのです。
このボルドーの制度をブルゴーニュで確立したのが「ドメーヌ元詰め」制度です。小さな農家でも、一貫してブドウ造りからワインを完成させて壜詰めまで行ったものは「ドメーヌ元詰め」と表示することで出生を守ることができるようになりました。
以前は、ネゴシアンとグローワーは対立関係にあるものの、巨大な流通ルートを持つネゴシアンの方の立場が強かったものです。しかし20世紀後半からヨーロッパの経済自由化が起こっていったことで、少しの工夫と努力で自分が造ったワインを売りさばくことができるようになり、この関係も変わってきています。