これからは東アジアがワインの中心地になる?

視野が狭い人というのはたまにツッコミどころ満載の主張をするもの。先日見かけたのは、アジアにおいてワインが普及しなかったのは、アジア人はアルコール分解能力が低いからだというくだり。

「あなたの言うアジアってどこのことかしら?」と言いたくなる言い草ですね。地理的にアジアといったら、西はアラビア半島から東は日本まで、北はシベリアから南はインドネシアまでです。

「アジア」を中国・朝鮮半島・日本程度の狭い地域にしか認識していない人はこういう頭の悪いことを言います。

日本人にアルコールの代謝産物であるアセトアルデヒドを分解する酵素が働かない人が多いというのはよく知られていますが、広大なアジアに住む人全体がそうであるという統計を私は見たことがありません。

ちなみに、国税庁の資料によれば、アセトアルデヒドを分解する酵素ALDH2が不活性、つまり下戸の人は、日本人は44%、中国人は41%と確かに多いけれど、タイ人は10%、フィリピン人は13%で「アジア人はアルコール分解能力が低い」などと一括りにできないことはこんな少ないサンプルからでも明らかです。

そもそもワインはメソポタミア文明、つまり今のイラクあたりでさかんに生産され、消費されていました。そのイラクも西アジアの国。

ペルシア時代にはワインはインドにも伝わりました。

その後イラクやインドでワインがほとんど飲まれなくなったのは、宗教の影響。イラクはすでに7世紀からイスラムの国になっており、インドも16世紀以降19世紀までのムガール朝はイスラム帝国でした。

また、インドで多数を占めるヒンドゥーは飲酒は禁忌にしていないものの、推奨はしていません。ヒンドゥー教徒は、教義で禁じられていなくても身を清めるために肉食や飲酒を自ら禁じている人も多いのです。

中国にワインが伝わったのは紀元前の前漢ごろ。武帝配下の張騫は、中央アジアの大月氏に同盟を説くために派遣されました。その時にワインの製法を持ち帰ったと言われています。

このエピソードは伝説であるにしても、世界国家だった唐代には確実に欧州や西アジアなどからワインがもたらされています。

中国でワインが廃れたのは実は国策のため。明帝国は鎖国に近い閉鎖的な国の運営をしたことで知られています。

酒については国産の紹興酒や白酒(穀物の蒸留酒)などが推奨されたために、ワインはだんだん飲まれなくなっていきました。アルコール分解能力などとはこれっぽっちも関係ありません。

日本へは、遣唐使がワインを持ち帰ったという可能性は否定できないものの、記録はなく、平安時代ごろの宮廷人の文学作品にもワインと見られる酒が登場することはありませんでした。

記録の上でワインが登場するのは戦国時代。戦国大名が南蛮渡来のワインを嗜むことはあったようです。ただ、対外貿易が盛んに行われていた戦国時代にもワインは広まりませんでした。鎖国後はなおさら。

さて、現在日本ではワインはブームを過ぎ、お手頃価格のワインも広まって、もはやワインなど飲んでいても誰もオサレだなどと思われないぐらいに庶民の飲酒文化の中に広まった感があります。

これは、ワインに合う食文化が広まったとともに、「まずはビールで」などという、どこに行ってもビールで乾杯を強制されるくだらない酒飲み文化が廃れてきていることとも無関係ではないと思われます。

日本よりもさらにワインが盛り上がっているのが中国。日本のいわゆるネトウヨの類が願望を込めて「中国の経済は崩壊した」と主張するのもどこ吹く風、中国でのワイン消費量は右肩上がりであり、すでに消費量は世界一であるとする統計もあります。

日本でも中国でもワインの生産量も増えているので、今後は東アジアがワインの中心になるかもしれません。

関連記事

おすすめ記事

ページ上部へ戻る