ボジョレー・ヌーボーの解禁日を利用した巧みな販売戦略とは
ボジョレー・ヌーボーを世界ブランドに押し上げた4つの戦略11月も下旬にさしかかる頃、メディアで大きく報道されるのがボジョレー・ヌーボーの解禁日。
レストランではそのお祝いをし、百貨店でもフランスから届いたばかりのボジョレー・ヌーボーを大々的に売り出しています。
30代以上の人にとっては、「ボジョレー・ヌーボーっていつの間にやら日本にやってきて、なんだか毎年すごく賑わっているけど、何故こんなにもてはやされているの?」と感じている人もいるでしょう。
そもそも、ボジョレー・ヌーボーはいつから日本に入って来たのでしょうか。
日本にボジョレー・ヌーボーがやってきたのは・・・
日本へ空輸され始めたのは1970年代後半です。
最近のものかと思いきや、意外と昔なのですね。
人々に知れ渡ったのは80年代、つまりバブルの頃です。
ただ、当時はそれほど話題に上った印象は薄いのではないでしょうか。本格的にブームになったのは、90年代後半からの赤ワインブームがきっかけです。
メディアもこぞって宣伝し始め、一般の人々にも大いにその存在を知られることとなりました。
その頃からボジョレー・ヌーボーの売り上げはうなぎ上り。今ではブームが落ち着いた感があるものの衰退はなく、むしろ季節の風物詩がごとく定番化しています。
常々「限定モノ」には弱いといわれている日本人です。
赤ワインの人気に加え、この日以降でなければ買えない「解禁日」という仕組みが日本の人々の心をわしづかみにしたのでしょう。
ボジョレー・ヌーボーの長所と短所
世界にはおいしいワインが数多くありますが、なぜボジョレー・ヌーボーはこんなにももてはやされるようになったのでしょうか。
通常、良質のワインは2ヶ月程度の熟成期間が必要です。ボジョレー・ヌーボーは収穫後3ヶ月でできあがるため、すぐに出荷しなければなりません。
その「できたて」のフレッシュな味わいが長所なのです。しかし出荷から3ヶ月も経ってしまうと、風味が損なわれてしまいます。
これは商品としては大きな短所。
悪く言えば、「できたて」のフレッシュさを味わえること以外に顕著な長所はありません。そんな短所を逆手にとったのが、ジョルジュ・デュブッフという醸造家です。彼のある戦略で、このボジョレー・ヌーボーは世界的な人気を博すまでとなりました。
デュブッフ氏のビジネス戦略
醸造家であり、優れた戦略家でもあったデュブッフ氏。彼はどんな戦略を掲げたのでしょう。
1)「すぐに飲める」を個性としてアピール
短所は個性である。そう捉えたのでしょうか。
熟成期間を設けず「すぐ飲める」ことをアピールし、フランス国内の高級レストランに「価値あるもの」として提供しました。本来、ボジョレー・ヌーボーはカジュアルな「がぶ飲みワイン」という位置づけのものでしたから、ものすごい発想の転換です。
また、アメリカや日本など海外への売り込みにも力を入れ、世界的に市場を拡大したのです。
ラベルデザインを毎年替えるなど、見た目にもこだわっています。
2)需要増には技術で対応
デュブッフ氏の売り込みが功を奏したお陰で需要が増えたのはいいのですが、生産が追いつかないという問題が出てきます。
そこで、ワインを短期間で製造できる「マセラシオン・カルボニック法」を採用しました。これは急速発酵できる技術です。これにより短期間での大量生産を可能にしたのです。
3)ブドウの生産をシステム化
製造過程での大量生産は可能でも、ワインの原料となるブドウの生産が追いつかなければ元も子もありません。
そこはブドウの収穫までをシステム化することにより、コスト削減や安定供給を実現しました。
4)「解禁日」を利用して予約販売
以上の戦略で大量生産、大量供給は可能になりました。
しかし、ボジョレー・ヌーボーの販売代金を早期回収できなければ経営に大きな支障が出ます。
そこで「解禁日」の存在を戦略的に利用しました。
11月の第3木曜日がボジョレー・ヌーボーの解禁日、それまでに消費者からの予約を募ることで、確実に代金を回収することができたのです。
売り時を逃せば大量在庫どころか、もう商品として価値がないものとなってしまうボジョレー・ヌーボー。
以上のような4つの戦略により、味わう期間に限りのあるという、ある意味やっかいなワインを世界的ブランドにまで押し上げることに成功したのです。
それにしても短所を逆手にとって強みにするというデュブッフ氏のビジネス戦略、これは他のビジネスにも教訓となるのではないでしょうか。