その高級ワイン、本当に安物のワインより美味しいのですか?

安物のワイン、と聞いて、みなさんは一体どんな印象を持たれるでしょうか。恐らく、いい印象を持たれる方はあまりいないと思われます。レストランでワインリストを頼むと、安い物はだいたい隅っこの方に申し訳なさそうに、小さく載っているのを見かけます。

それを見ると、目立つ上の方に大きく紹介されている高級ワインの方がおいしそうな印象がある一方で、なんだか安い方は美味しくなさそうな印象がありますよね。こういった安物のワインに対する差別待遇は、ワインリストの中だけに留まりません。

デパートのワイン売り場を覗いてみると、高級ワインは空調付きの特別陳列室で、1本1本大事に扱われています。

一方で、安物のワインは今朝抜いてきた大根のように山積みになっていて、なんだかぞんざいに扱われている気がします。

もっと昔になると、スーパーで売られているワインは、みな十把一絡げで、どんなワインなのか説明するカードもない事さえ多かったのです。

世に言うワイン通と呼ばれる人たちは、こういった文化の影響を受けている事もあるのでしょう、安いワインを勧めても、あまり受け付けようとしてくれません。

彼らは、特定のシャトーをひいきしていたり、また世界的に有名なフランス産のワインにばかりこだわったりします。

さらに神経質な人は、ヴィンテージ・チャート(作柄表)を頼りに高級ワインを巡っていて、同じワインなのに何年はよくて何年はダメだ、などの評価をつけ、温度は何度でなければいけない、と言って、温度計まで持っていて、飲む前にグラスにつっこむ、お行儀の悪い事をしたりもします。

しかし、世界全体を見れば、ワインは「安い」のが基本で「高い」のは例外的なワインなのです。安いワインがダメという人は、世の中のワインの大半がまずくて飲めない、という事になってしまいます。

原因として考えられるのは、日本では、ワインの飲み物としての性格のひとつ、「日常性」が欠けているせいだと言えます。

前項で述べたように、ワインは深い部分と広い部分、大きな二面性を持っています。

このワインの日常性を理解するために、日本人にも分かりやすい例として、麦茶と玉露があげられるでしょう。麦茶といえば、いつも冷蔵庫で冷やしておいて、飲みたくなったときに気軽にごくごく飲める、安いお茶です。

対して玉露は、特別な客人が来たときに、おもてなしをするために開ける高級なお茶です。

どちらも同じお茶には違いありませんね。

しかし、お風呂上がりや、毎日の食卓の度に、玉露ばかり煎れて飲んで「うーん、やっぱりお茶は玉露に限るね、麦茶なんてまずくて飲めないよ」なんて言うお茶の愛好家は、いるかも知れませんが、一般人の感覚からして相当変わった人だな、というのが分かると思われます。

これは、私たちがワインという文化圏を覗いてみた時にもまったく同じ事が言えるのです。

普段は普通のワインを飲んでいるし、ひいきにしているワインもあるけど、あの高級ワインをもう一度飲んでみたいな。

本来、ワインを日常的に飲む世界の感覚は、こういう物なのです。普通のワインがダメ、という風に見下げる感覚など、まずどこにもありません。

毎日のように飲む日常的な飲料と捉えるか、たまに何かの機会に飲む特別の飲料と捉えるかで、ワインの楽しみ方がまるで違ってくるのです。言い換えれば、「高い」という事と、味がおいしいか、飲んで楽しいかという事は、まったくの別問題だと言えます。

本来、ワインの味や、善し悪し、好き嫌いは、たくさんのワインの中から飲み手がこれだ、というものの偶然の出会いと共に選び、決めてゆくものです。嗜好性や、さらに味に対する慣れというものは、人によってまったく異なってきます。

他の人が飲んでもそんなに美味しいと思わないワインに、なぜか強く惹かれてしまう人もいます。

そのワインが気に入ったのなら、他人にとやかく言われる筋合いはありません。現代ならネットを通じて、同じ味が好きな者同士がよく集まっているのを見かけますので、仲間がいないか、探してみるのもいいでしょう。

自分の好みを押しつけてくる人がいても、それはその人の性格の問題ですので、あまり惑わされる必要はありません。

ワインの種類は膨大にありますので、一人一人が、自分の舌に一番あったワインを見つける事ができれば、それに越したことはないのです。

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