シャンパンの始まりはいつ頃?
シャンパーニュ地方ではローマ時代からワインは造られていました。シャンパーニュのワインは中世でも優れものとして知られていましたが、まだ発泡性の白ワインではなく、赤ワインを造っていました。
17世紀、ルイ14世の時代にヴェルサイユ宮殿では、シャンパーニュはブルゴーニュのワインと世界一を争っていました。ところがとある陰謀によりブルゴーニュに1位の座を取られたのです。シャンパーニュの人々が首位奪還を狙って試行錯誤をしていた中、偶然に修道僧ドン・ペリニヨンが壜にコルクを使って発泡性のワインを封じ込める方法を見出しました。
ドン・ペリニヨンは、優れた味覚と嗅覚を持ったワインの優秀なブレンダーで、クリアーな白ワインの製造技術の開発を行っていたのです。この新たな珍しい発泡ワインがヨーロッパの上流階級社会の一大ブームを巻き起こしました。
後に、ルイ15世の公妾で陰の実力者と言われたポンパドール婦人が、ブルゴーニュ最高の畑と言われるロマネを所望しましたが、コンティ公に先んじられてしまいました。そのことがあってか、自分の宴席のワインはボルドーとシャンパンに限定し、さらにシャンパンの宣伝までしていたと言う逸話があります。
これがシャンパンの始まりでした。ところで、この発泡性のワイン製造事業には難題が2つありました。シャンパンは壜の中で発酵をさせて造ります。炭酸ガスが壜の中で生じて発泡酒となるのです。
まず、この頃の壜は手吹きのため不均一で弱く、かつ壜内発酵で生じる炭酸ガスの気圧がどれくらいかわかりませんでした。そのため、当時は壜が頻繁に破裂していました。後に、フランソワの比重計が発明され、ワインの糖分の含有量から発生するガス量を計算できるようになり解決されました。
2つ目の問題は、発酵に伴うオリの発生です。壜内のオリを取り除く時にガスが抜けてしまいます。解決策として、壜を逆さに静置してオリを壜口に貯め、壜口だけを冷却してオリの部分を凍らせます。凍った部分だけを素早く取り除く工程を入れて解決したということです。